その名のとおり、三河の海にて海水を汲み、取れた塩を 足助の先、遠くは信州塩尻(塩の終わりの意)までの街道が俗にいう"塩の道"で、 古きよき時代を偲ぶ地名として、注目をあびています。 歴史上の逸話にもあるように、山国の人々にとって、貴重な生活必需品だっ た塩を中継する道として、塩付街道も当時の経済を担う街道だったにもかかわ らず、今、 ある古老の一説によりますと、現鉄工団地と広久手町を区切る古い市道とい うことですが、宮口の汐取という小字名もその名残りかと思われます。 全盛期には、十頭以上の馬の背に、十八貫目はあろう塩を積み、 おそらく、うっそうとした木々が生い茂り、山又、山の街道とは名ばかりの 道だったと思われます。 その証に処刑場?だったといわれるあたりに青坊主(ゆうれい)が出たという話。 ある一軒家の庭先にきつねが集まり、一斉に鳴いたという話。 樫の大木のてっぺんに、猿投山から飛んできた天狗が住みっいて、まぼろしの 火を焚いてはいたずらをしたという話。 どれもつるべ落としの秋の夕日に、先を急がれる旅人が、さらに歩を早めるよ うな話ばかりです。 この後、塩付街道は、宮口の特産となる磨き砂を、 荷馬車で刈谷方面に積みだす街道として、さらに知立の弘法さんへの参道として、 名鉄三河線開通直前まで利用され、往来が頻繁になってゆきます。 寂しい山道は、人声の絶えない街道となり、そして道路と名称をかえてゆくのです。 時を越えて、存在できる青坊主や天狗様だもの、本当は今の世にも、出現していいはず。 現代の目まぐるしい有様は、驚かす側の彼らを逆転した立場に追いやり、 神通力を使いこなす気迫さえも、無くさせてしまったのだろうか? そんな異次元的な想像をして、一人笑ってしまった。 なんの価値もないが、そっと大切にしていたものを失った時の諦めにも似た 苦笑いだった。 |