行者講(ぎょうじゃこう)

行者講とは、俗にいう宗教団体ではなくて、信者の心の赴くままに、奈良吉 野の大峰山にお参りし、修行を行うという日本人古来の素朴な信仰心を今に伝 える行事なのです。
役の小角行者のご本尊が祀られている大峰山は、女人禁制、九月には閉山と いう厳しい戒律をひく霊山で、その霊山参りは、昔の人々にとって、神への憧 れ、恐れ、敬いなどすべての思いを表しているように思います。
険しい霊場巡りは有名で、今でも信者はもちろん、学生らの心身を鍛える修練 道場として、特に七、八月は多くの登山者で賑わいます。
当時、逢妻あいづま谷に沿って、点在するほとんどの村落に、講はあったといわれ、 毎年その年の豊作を信じて、数人の代参者を霊峰参りに送りだしていたと思わ れます。
昔のこととて、歩いて、歩いて十二日ぐらいかけ、やっと行者さんのお札を授 かってホッとするがいなや、さらに渓谷づたいに高野山へもお参りしたという伝えも残っており、 昔の人の健脚ぶりに驚くほかありません。
さて、代参者がお山へ出発して代参のお役目を果たすまでの講中、留守をあずかる親族は、大変です。
村の行者堂において三日間祈念の経を唱え、割目池において清めの水 ごりをとり、代参者の無事な帰還を祈り上げるのです。
代参する親に代わって、年の端もゆかぬ男の子が水ごりを受けたという話は忘れられません。
今は交通の便もよくなり、一泊二日で楽にお参りができるようになり、先ほ どのような行事も省略されておりますが、それでも代参者の出発前後には、講 員はお堂において祀りごとを実行しています。
年号不詳で残念ですが、百姓にとって大切な田んぼ二反三畝(約二三〇〇u) を行者さんに献上したという伝えもあります。
その田は現在、東名高速道路の用地になっており、国や公衆のために供されてい ると云うことで、献上者(現在、子孫四代目加藤某家)のこのような心が現講員の 心として、今後も継承されていくことでしょう。

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