本地新田に杉社といわれる、さも由緒のありそうな塚があるのを知ってるかのう。 この塚にはこんな話しが伝わっているんじゃよ。 明治の初めの頃からじゃったかのう、この塚の周辺を掃除して、草を刈ったり、樹 木の枝を切り払ったりすると、必ずその家に病人やけが人がでたり、火事などの災難 に見舞われたものじゃった。 そのため杉本屋敷の一同が集まって、色々と相談をしてのう、原田海心という行者に、 助けていただこうということになったんじゃそうな。 そこで海心行者にお伺いをたてたところ、戦国の昔、戦いに破れたお侍の大 将が、手傷を負って、この地まで落ち延びてきたんじゃと。 しかし無念にもここで力つきてのう、自決して果てられたのを、家来が葬っ たのが、この塚だということじゃった。 きっと、その大将の霊が浮かばれないで、そのままこの地をさまよっていたの じゃなぁ…… そして、願わくば、この地の志士の方々に供養してもらえるならば、その子、 その子孫にいたる末代まで、家運の隆盛と、天災からの加護を約束するであろ うとの、お告げもあったそうな。 そこで、杉本屋敷の者全員で、塚を堀り起こしたところ、お告げのとおり、 刀や矢じりなどに混じって人骨が出てきてのう、皆で手厚く葬ってさしあげた そうじゃ。 その際、海心行者より、杉本の一字を頭にいただいた"杉社衿胴源"の姓を 賜り、杉本の先祖として、守護神とならんことをお祈りしたのじゃと。 明治三十五年一月十五日のことじゃった。 それ以来、毎年、その日を杉社の供養祭とし、お祀りをして、竹矢来を新し くしたり、草刈り、掃除などのお世話を欠かしたことがないという。 そして、災難もめっきり少なくなったそうな。 |