吉五郎さの酒

明治も終わりの九月中ごろのこと。
千足の太郎兵衛さは、大島の親戚の家へ、稲のハザに使う杭木を貰いに出かけたそうな。
朝早く、大八車を引いて、たいそう急な坂の多い山道を、一人で出かけたそうな。
行く時は、大八車には何も積んでいないので、楽に大島に着いた。
親戚の家で、昼ごはんをごちそうになり、大八車にたくさんの杭木を積んで、帰ることになった。
途中の矢並まで、親戚の人に大八車を押してもらったもんで、助かったけんど、それから 先は一人で、引いてこなければならんかった。
たいそうしんどい思いをして、汗をかきかき矢作の橋まで来たとき、 「そうだ!挙母ころもの町で一杯ひっかけて、それから、ぼちぼち帰ろう」と思ったんじゃと。
けんども、挙母ころもの町まで来たとき、「待てよ!ここで飲んでも、小坂の坂を登ると、 又汗になってしまう。それより、本地まで帰って、吉五郎さの店で一杯やろう、あそこなら家も近いし、なにより八銭で飲める。
挙母ころもの店じゃ十銭だもんな」と思い直したそうな。
そう決心すると、挙母ころもの町を休息もせず通りすぎ、一目散に本地まで帰って来た。
やっとの思いで、吉五郎さの店にたどり着いたときは、服を着たまま、風呂に入ったかと思うほど、汗びっしょりだったと。
「吉さ!一杯おくれ!早よ、早よ!」 と催促すると、吉五郎さは、大急ぎで、枡になみなみと注いで、太郎兵衛さに渡して。
太郎兵衛さは礼の言葉もそこそこに、一気に飲み干し、 「ああ、うまかった。五臓六腋にしみわたるとはこのことだなあ、まあ一杯!」 とお代りの枡を差し出したんじゃと。
吉五郎さも今度は落ち着いて枡に注ぎ、太郎兵衛さに渡したて。 太郎兵衛さも今度は落ち着いて、酒の味を楽しむかのようにチビリ、チビリ、 太郎さ「吉さ、こりゃ酒じゃねえ、酢だぜ」 吉さ「ほんな馬鹿な!さっきと同じ所から、もってきたぜ」 太郎さ「ほんなら飲んでみらっせ、こりゃどうみても酢だぜ」 吉さ「本当だわ、こりゃ酢だわ、悪かった、悪かった」 と言いながら、本物の酒をもってきて、 吉さ「太郎さや、さっきの一杯はまけとくでのう」 太郎さ「ほっかん、こりゃ今日は一杯儲かったわい」 太郎兵衛さは、上機嫌で帰って行ったそうな。

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