抱き地蔵さま

いっつのころからかと言われても定でないので、むかし、むかしとしておこう。
村人の遠い思い出の中に、お地蔵さまはもうその場所におらしたげな。 四季折々の花が供えられ、小ぎれいな色模様の前掛けを掛けてもらい、 雨の日も、風の日もいつもにこにこと笑っておらした。
辺り一面桑畑に囲まれ、一本の里道がずっと挙母ころもまで続いていた、 向山と呼ばれた小高い丘のその場所に、子供の賑やかな声がする時、 お地蔵さまは嬉しそうなお顔をされていたし、沈むタ日を背にうけて 、村人が家路を急ぐ頃は、少し寂しそうなお顔をされていたっけ……
古ぼけた祠のまわりは、子供たちの格好の遊び場で、お地蔵さまに触ったり、 祠の中を駆け抜げたり、時にはお供物を失敬したりしてのう、 子供たちにとって、お地蔵さまは守り神というより、良き友というほうがぴったりじゃった。
街道への道しるべとして立っておらしたこのお地蔵さまは、 いつのころか不思議な力も兼ね備えておいでになってのう。
お地蔵さまに願いを言って、心をこめて抱き上げると、 その願いがかなう時は軽く持ち上がり、 かなわぬ時は、どんな力でも重くて持ち上がらないという。
その話は、抱き地蔵というお名で、近在の村里に広まっていった。
日も暮れて人影もまばらになるころ、年頃の娘さんがひっそり佇んでいるの をよく見かけたものじゃ。
幸せな花嫁すがたを心に描いて、願いをかけに来たのじゃろうかのう。 このようにしてお地蔵さまは訪れた人々に、きっと星の数よりも、 もっとたくさんの幸せを約束してきたことじゃろうて……。
そんなご利益あらたかなお地蔵さまになられても、 子供たちにはやはり親しみのある存在だったとみえ、朝な、タなにお姿を見ては、 今日のお地蔵さまは、後ろむきになっているから、怒っておらっしゃるとか、 横を向いているから、何か困りことがあるんじゃとか、 いろいろと話ながら形ばかりの手を合わせて、祠の前を通り過ぎたものじゃった。
現在お地蔵さまのお住居は変わってはいますが、以前にも増して願いをこめて、 お地蔵さまを抱きに来る参拝者が絶え間なく、 毎年八月二十四日、抱き地蔵祭も行われています。

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